2012/04/27

映画は歌のように響かない 『KOTOKO』

 




 
 『KOTOKO』は、心に病を抱えた女性が子育てに苦しみ、ついに破局を迎えるまでを描いた映画である。内容にはかなりの程度、主役を演じている歌手のCocco自身の体験が反映していると思われる。監督は塚本晋也。この作品は海外の映画賞でグランプリを取ったそうである。
 この映画におけるCoccoの存在感、身振り、歌唱は圧倒的である。Cocco本人によると思われる折り紙などを用いたアートワークも素晴らしい。このため映画を観るCoccoファンは、否応なくスクリーンに、演じられたコトコではなく、Cocco本人を見ることになる。実際コトコのモデルがCoccoであることは明らかなのだから、当然といえば当然なのだが、このことが映画を作品としては破綻させてしまっていることは否定できない。つまり、現実のCoccoの存在感が、演じられたコトコも、コトコを取り巻く人物やストーリーも、一緒くたに吹き飛ばしてしまうのである。
 Coccoの存在感に拮抗するために監督が用いるのは、一言でいえばホラー、スプラッター映画的手法である。つまり、安定しないカメラワーク、叫びや不快音の多用、滴る血、吹き飛ぶ赤子の頭等々だが、Coccoの存在感に拮抗しようとするあまり、やり過ぎている印象はぬぐえない。そしてこれらもまたCoccoの歌の前では吹き飛んでしまうものでしかない(ホラー的手法はむしろパロディとして用いられる場面で効果を発揮している)。
 Coccoの歌への映画の側の敗北は、ストーリーそのものにも明示されている。コトコに一目惚れし、コトコの暴力に耐えながらも、その心を少しずつ開いていく「作家の田中さん」という登場人物は監督自身が演じているのだが、コトコが心を開いて田中さんの前で独唱する場面(これはこの映画のハイライトである)の後、唐突に田中さんはコトコの前から去ってしまう。田中さんの失踪は要するに監督の敗北宣言である。それ以外に田中さんが去る理由はない。
 田中さんに去られたコトコは精神のバランスを崩し、ついには「残酷なこの世界から守るために」我が子の首に手をかける。場面は変わり、コトコは精神病院とおぼしき場所で、成長した息子と面会し、映画は終わる。
 映画としては破綻してしまっているが、あれだけのテンションのCoccoの歌唱や身振りをカメラに記録したという点においては評価されるべき作品である。
 
 

2012/04/16

敗者のアカデミー  Curve 『Barricade』

 
Curve, 『Barricade』 Liquid Trigger, 2008.

 Curveは東京のライヴハウスを中心に活動している日本のロック・バンドである(同名のバンドが洋楽に存在するが別物)。2006年に『broken beautiful product』(Satire Records)、2008年に『Barricade』(Liquid Trigger)をリリースしている。ここまではヴォーカル・ギターの羅悠靖氏とドラムの二人組だったが、現在ではドラムが交代、ベースを加えて三人で活動している。いわゆるインディーズ・シーンで活動している彼らの知名度がどれほどのものであるのかは筆者にはわからない。筆者もごく個人的な人間関係を通してこのバンドのことを知っただけである。だが『Barricade』は傑作である。個人的な感想を言うしかないのだが、2000年代に登場した日本のバンドでは、凛として時雨と並んで大きなインパクトを受けた。

 驚くべきことに(当時は)二人組であることを除けば(ライヴも二人でやっていた)、音自体は必ずしも目新しいものではない。陰と陽を行き来する美しいコード進行やハイトーンヴォーカル、表現力豊かなドラムなどは、明らかに90年代の洋楽、特にイギリスのロックの影響を受けている。具体的にはレディオヘッドやトラヴィス、マニック・ストリート・プリ―チャーズ、ジェフ・バックリィなどが思い浮かぶ。ディストーション・ギターの音色はレディオヘッドの『The Bends』であり、全体のイメージはトラヴィスの『The Man Who』をプログレッシヴ・ロックにしたような印象がある。だが『Barricade』の素晴らしさは、こうしたバンドの影響を、高い強度の音楽に昇華している点にある。重要なのは強度であり、また聴く者(といっても筆者自身だが)にある種の焦燥感を与えるほどの純度である。

 アルバム全体のテーマ(あるいは共通のトーン)があるとすれば、それはおそらく挫折を運命づけられた理想主義である(もちろんこれはロック・ミュージック自体が常に抱えているものである)。この点はアルバム冒頭の、だが全体を通して最も美しくはかない「faster than destiny」で明確に告げられている。
 
「君はその光を見た 僕らはそれが合図だと教えられて来たんだ/全てと共に、そして探し当てるた為に/うそつきは嘘をつかない 僕らは同じである為に森に隠れ/はかない人生について語る鍵を失くした」(ライナーの日本語訳より、このアルバムは全曲英語で歌われている)

そして続く「breath of 1000 dead machines」では次のように歌われる。

「間違っているのはわかってる、終わりを迎える為に君の言葉を守るよ」

間違いは明白である。歌い手は自らのアイデンティティを疑いながら、進んで敗北しようと言う。

「君に聞こう、僕らは名前などもらった事なんてあったか?/慣れ親しんだ罪に請うよ、この永久の平和から逃れる為に。/痛みが大きすぎる、救世主が死なないなんて事は言わないでくれ/僕らはここに残るだろう、僕らは痛みと共にこの戦いに敗れる/憎しみと共に置き去りにするんだ」

敗北のロマンティシズムは甘美であり、それに浸れればそれはそれでいいのかもしれない。だが歌い手はその敗北にさえ確信を持てない。三曲目「rather forgiven」では他者の妥協を責めながらも、歌い手は「どうやって終われば良いんだ?」と自問する。一転して四曲目「A Hand Made Box」では「無事でいたい、守られていたい」と洩らす。
 敗北のロマンティシズムさえ信じることができず敗北するという、ある意味では情けなさ、ある意味では繊細さを、それを上回る理想主義とロマンティシズムで鳴らしてしまう点に、この作品の批評的価値がある(とはいえ半端な理想主義を鳴らされた音が凌駕してしまうことにこそ、そもそもロック・ミュージックの力があると言えるかもしれない)。おそらくそれは、90年代のロックを聴いて育った者の一つの回答であり、リアリティであると思う。さらに付け加えれば、それはリッチー・エドワーズが失踪した後(もしくは解散宣言撤回後)のマニック・ストリート・プリ―チャーズが選んだ道でもある。五曲目「loser's academy」は、個人的にはこの作品のハイライトである。

「知っているんだ、今夜真実は消え去った/全て済んだ事だ、今夜、君に僕の声は届くか?」

希望がないわけではない。ここで歌われる他者への問い掛けがそれである。Curveは現在、新しいアルバムを制作中であり、近く発表されるらしい(Curve Official Website を参照)。彼らの声がほんの少しでも多くの人に届くことを祈りたい。





2012/04/06

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