2013/02/12

待つこと、孤独の肯定 デル・ジベット『Violetter Ball』

 
 後にヴィジュアル系と呼ばれることになる音楽の一つの源流であるバンドの1985年10月のデビュー作(参照しているのは93年のCD再発版)。バンド名はドイツ語で「麝香」、アルバムタイトルは同じくドイツ語で「紫色の舞踏会」を意味する。
 バンド結成は84年11月、結成一年未満ということもあり、音はかなり不安定である。全体的に靄がかかったようなエコーの深いサウンドで、特にヴォーカルのISSAYの歌は不安定過ぎて、時折聞き取れない程である。
 バックの演奏技術は高いものの、未だまとまりに欠ける印象は否めない。コーラスやエコー、ディレイを多用し、そこにキーボードが重なってくる音像は、かなり80年代という時代を感じさせる、端的に言えばニューウェーヴである。だが要所要所でマニアックなアレンジ(変拍子など)が施されており、面白い展開も頻出する。その辺りに単なるポップ・ミュージックに収まろうとはしない気概を感じることができる。
 実際、曲によってはかなりポップであり、ドイツ語の硬質なバンド名の印象とは随分異なっている。こうした様々な面でのちぐはぐさは後々デル・ジベットが長く引きずって行くことになる性質であり、逆に言えば、この点がデル・ジベットというバンドの不思議な魅力であるとも言える。
 歌詞及びテーマの部分では、ISSAYの個性が炸裂している。一曲目からして「FATHER COMPLEX」である。一曲目にふさわしい、ミステリーゾーンへ導かれるようなイントロのコード進行とキーボード、なのに「ファザー・コンプレックス」なのである。サビに至っては、「Father Complex つきまとってる/いつも/この俺に(Oh)」である。ここまで率直にファザコンをテーマにした曲というのは珍しいのではないだろうか。しかも繰り返すが一曲目に、である。
 この曲には「空に浮かぶ気分はシャボン玉」という一節があるが、浮遊というモチーフ、存在の希薄さ、そこから生じる孤独と内省というテーマはアルバムに一貫している。
 ②「Lunatic Dancin'」では「ただあなだけ宇宙に舞う」と非日常的な瞑想的浮遊感が歌われ、③「雨の中のパレードでは「OK. Lady, すてきなパーティ楽しめばいい/俺はただ雨の中を歩きたいだけ」と空騒ぎへの嫌悪と孤独が歌われる。
 パーティへの嫌悪は次の④「猫の目をして這いずるな」で「うそつきだらけ Party Tonight/カクテル飲み飲み微笑む/子豚のようなSexy Girl 僕はあんたが大嫌い!」と更に率直に表明される。そして「僕はただ飛びたいだけ」であり、女の子には「ここでお別れ」と告げる。
 ⑧「キスミープリーズ」も同様で「しらじらしいけど Dancin'/茶化しただけさ/無理して笑ってDancin'/その場しのぎさ」「嘘つきながらもDancin'/まだまだ寒い」と歌い、80年代的な狂騒を皮肉り、そこから背を向ける。
 そして自閉する。⑤「Der Rhein」(ドイツ語で「ライン川」、このタイトルの意図はよくわからない)では、部屋でくるくるまわり続ける様が、ヨーロッパ歌謡的演奏に乗せて歌われる。「まわる まわる 部屋は青いままで/まわる まわる 肌は透けたままで/まわる まわる 霧は深いままで/まわる まわる 森はまつげふせて/まわる まわる 星が月が時を超える」。そして「I'm so happy boys」とうそぶくのである。
 「Der Rhein」は本アルバムのクライマックスの一つだが、もう一つのクライマックスは⑨「待つ歌」である。「Der Rhein」で歌われた行き場のない孤独は、「待つ」という行為に置き換えられることによって不思議な透明感(存在の希薄さの裏返しである)を伴った希望と肯定へと反転させられる。透明感のあるピアノの中で「人は僕のわきを通りすぎた/風も僕のわきを通りすぎた」と歌われるが、それでもサビでは「I wait for you」という言葉がリフレインされる。孤独のギリギリの肯定、これがデル・ジベットの、ISSAYの重要なテーマであり、このテーマは以後も追及されることになる。
 CD版で付け加えられた⑩「Floatin' Song」(浮かぶ歌)は、やはり浮遊と孤独の肯定がテーマである。「FLOATIN' SONG/聴こえてくる/FLOATIN' LOVE 聴こえるまで歌う」、孤独であっても、浮遊する歌、消えて行ってしまいそうな歌であっても、誰かに(その誰かは結局いないとしても)聴こえるまで歌う。ただそうする(「時々歌う 時々叫ぶ」)。それがギリギリの孤独の肯定なのである。
 いつかは誰かが訪れるのか、誰も訪れないかもしれない。そうだとしても、待つという行為自体に(たとえそれが限りなく消極的であるとしても)孤独の肯定の端緒がある。ISSAYとデル・ジベットはそこから歩きはじめる。

 

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